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Dec. 2021
運がよいということ
『しあわせ』
それは万人が願うもので、人によって価値の度合いに相違が生じるものであり、
私にとってはいつもそばにあるものだ。
Googleに検索願いを出してみると(単純にググるともいう)
【仕合せ】まわり合わせ。運。なりゆき。
【仕合せ・幸せ】運がよいこと。幸運。幸福。
とある。
ここにきてハッとするのだが、
「私はなんて運がいいんだろう」を私は日常的に口にする。
口に出さずとも感じている回数でいくと相当な量があると思う。
朝起きて温かいベッドで眠れていること、スイッチひとつで点く暖房、「おはよう」と眠い目をこすりながら挨拶しあう家族、身を包んでくれる服、カーテンの向こうの輝く太陽…
書き出したらきりがないほどに、世の中はごく当たり前にありがたいことで溢れていて、その環境に身を置かせてもらえることに感謝するばかりなのだ。
かつて祖母が『感謝感謝で日を送る』といつも言っていて、当時は当たり前やん!と思っていたのだが、その実これは修行でもあるのだと気づく。
どうしたって相手からの言い様に腹が立つことはあるし、忘れたくても手放せない怒りの感情が出てきたりするものだが、ただそのまま感情的になるのでは幸せは遠ざかるばかりなので、すべて自分を鍛え磨き上げるための修行だと捉えるのが良い活用方法である。
例えば、タカラジェンヌたちは自ら先生や先輩方にダメ出しをもらいに行く。
行かなくても手厳しいダメ出しはおのずと降ってはくるのだが、そこにプラスアルファ自らも果敢に挑んでいくのだ。(むしろ喜んで行っていたような気もするのだから変態の域ではないだろうか)
普通ならば自分の至らなさを突かれるのだから嫌なものだろうに、すべてを糧にする精神がすごいのだからあっぱれものだ!
タカラジェンヌたちは在団中は『生徒』と呼ばれ、その生活のすべてがより良い舞台をつくるための修行であり、自らを鍛え磨き上げる栄養分になっている。
宝塚歌劇
こと私の周りには『幸せさがし』の迷子さんたちが多くいて、見ていて聞いていてツッコミを入れたくなるほどだったりするのだが、大半がすぐそばにある幸せに気づいていないだけである。
我が家では「行ってらっしゃい」「行ってきます」「ただいま」「おかえり」の会話を徹底するようにしている。
この4つの言葉にはそれぞれ隠れた言葉があるのだが、
「【気をつけて】行ってらっしゃい」「【気をつけて】行ってきます」
「【無事に】ただいま」「【無事に】おかえり」である。
テレビで痛ましい事故や事件を見るたびに、「行ってらっしゃい」と送り出して「おかえりなさい」が言えるありがたみ、「行ってきます」と家を出て「ただいま」と家族の元に戻れる喜びを大切に嚙み締めるのだ。
毎日一つ一つを嚙み締めていると、どれだけ『幸せ』が当たり前にそばにいてくれているのかが分かるだろう。
幸せ=運がいいことだというのなら、まずはこの水の豊かな国:日本に生まれたことに感謝したい。
爆弾が降ってくる恐怖と戦わずにいられること、子どもたちにお腹いっぱいご飯を食べさせてあげられること、学校に通わせてあげられること、顔が見たくなったら手軽にビデオ通話できること、ボタンひとつで大切な人にプレゼントを送れる事…等々、お察しの通りこれを読めているあなたはすでに運がいいのだ。
何か不幸があったとき、人は口にする
『運が悪かった』のだと。
運がいい=幸せから目を背けず感謝して生きたいものである。
ダリア農家の後継者として株式会社ダリアジェンヌ 代表取締役を務め、地元宝塚市のナビゲーターとして
市のイベントPRをされるなどご活躍。
農村地ダリアの里に生まれ、17歳のときに宝塚音楽学校に合格。19歳で初舞台を踏む。
退団後は上京し介護福祉士として現場に勤務。
結婚を機に帰郷し故郷の過疎化にショックを受けたことで、地域特産のダリアの花や球根を活用した宝塚ブランドを立ち上げる。
現在 2人の男児の母親として、子育てを行いながら仕事を両立させている。
【専門家コラム】
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