01
Jun. 2022
当たり前を疑ってみる
みなさんは普段、自分の当たり前になっているもの、なっていないものについて目を向けることがありますか?
今回は私が息子を通してハッとさせられたことを、エピソードを交えてお伝えしていきます。
6月に入ると雨の日が増え、持ち歩く荷物が傘1本多くなるだけでげんなりするのは私だけではないと思いますが、不思議ですね・・・
買い物をして紙袋が増えるのは構わないのに、傘になると途端に邪魔に感じてしまう。家を出るときに雨が降っていると途端に外出が億劫になるなんて、人の心を大きく左右させてくる雨ってすごいですね。
さて、こどもはおもしろいことに、レインコートを着て長靴を履いて傘をさしてと、大人がいくら重装備をさせても、なぜかビックリするほどズブ濡れになって帰ってきたりするのです。でも本人は濡れて帰ってきたことに一切悪びれる様子がなく、ともすれば「ママもいこうよ!」と雨の中に無理やり手をひいていこうとしたり・・・なぜ!?と疑問ばかりが湧いてきます。
『発達心理学の父:ピアジェ』の提唱する発達段階論では、幼いこどもは相手の立場がまだ想像できず、自分にとっての楽しさが相手にとっても楽しいものであり、自分が楽しくないものは相手にとっても楽しくないものである、という一言でまとめると自己中心的な時期が存在します。
つまりは、大人の想像の範囲にとどまってはいないのです!
人生経験はわたしたち親の方があるはずなのに、生まれて数年で大人の想像を超える偉業を成し遂げるのですから、このカラクリに興味を持たないわけにはいきません。
実は先日、我が家の次男(2歳)は長靴にたっぷりの雨水を溜め、あとからそこに足を突っ込んで歩くという、大人がまずやりそうにない新たな長靴の活用方法をあみ出し嬉しそうでした。
本人いわく『みずがきもちい~の』だったそうで、大人になると雨水を気持ちいいと感じること自体あまりないですし、【雨には濡れない方がよい】という当たり前の概念が存在しますよね。
そもそもなぜ、雨には濡れない方がいいのでしょうか?
例えば、
1.体が冷えて風邪をひいてしまうから
2.濡れたら着替えをしなくてはいけないから
3.服が汚れるのがイヤだから
どれも当たり前に想像がつく、避けたい『嫌なこと』ですね。
では、これがなぜ『嫌なこと』に認定されるのでしょう?
1.体が冷えて風邪をひいてしまうから
について考えると、これは健康上のことなので、自分の身を大切にするためにも意識するのは正解だと思いますが、ただこの風邪をひいてはいけない理由が、
・会社を休んだら同僚から白い目で見られる
・学校を休んだら友だちの会話についていけなくなる
・いい大人が風邪をひくだなんて恥ずかしい
といった、他人からどう見られるか、に重きをおいているのなら要注意!
自分の体調以上に相手の反応が気になるのは本質ではありません。
2.濡れたら着替えをしなくてはいけないから
3.服が汚れるのがイヤだから
も、単純に自分が濡れた服や汚れた服を着ているのが不快で、たとえ誰とも会わない家の中であっても、その状態でいるのが嫌なのであれば良しなのですが、意外と「誰にも見られないのであればこのままでいいや」と思う人が少なくないように感じます。
それは、他人の目を気にしている自分が無意識の中にいるということ。
これが私たちの中に『当たり前のこと』としてこびりついているのです。
だから子どもは【他人の目を気にする】概念がまだ備わっていないので、どう見えようとどう思われようと関係ない、自分を大切にできる無敵の思考で生きられるのです!
濡れて帰ってきてコラー!と怒るよりも、私たち大人には成し得ることが難しい偉業をいとも簡単に達成できる能力に『それだけ濡れてこられるなんてすごいね!』と受け止め尊敬してみましょう!
まずは当たり前を疑ってみるところから・・・
ダリア農家の後継者として株式会社ダリアジェンヌ 代表取締役を務め、地元宝塚市のナビゲーターとして
市のイベントPRをされるなどご活躍。
農村地ダリアの里に生まれ、17歳のときに宝塚音楽学校に合格。19歳で初舞台を踏む。
退団後は上京し介護福祉士として現場に勤務。
結婚を機に帰郷し故郷の過疎化にショックを受けたことで、地域特産のダリアの花や球根を活用した宝塚ブランドを立ち上げる。
現在 2人の男児の母親として、子育てを行いながら仕事を両立させている。
【専門家コラム】
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